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藤色の庵の楽書帳

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約半世紀の縁(えにし)3

超短期間滞在だったシドニー旅行(5泊6日)。 旅程を全く決めずに渡豪。 到着後は、宿泊ホテルリッジス ワールド スクェア に直行して、大荷物を預け(チェックインは、午後15時半)ビジターセンターへ徒歩で向かい、シドニー市内一日バス券、ブルーマウンテンズ一日バス券、クルージング(飲食無し)を予約。 初めは、ユックリ時が流れるような感じだった。


予約した事をサッサと、こなしていく事にした。 到着翌日にシドニー湾のクルージングに参加した。そして次々にバス券も使う事にして正解だった。 私には、約50年の縁の方々に会うと言うミッションがあり、段々時間が無くなりつつあって、会えないかも知れない恐れが出て来始めていた。


最初の躓きは、ホテルの部屋の電話の不都合から。 日本を発つ前にスマホをオーストラリアで使用する事について色々調べたが、バッドラック。 電話が、送受信とも1分180円、メール1通50円、オーストラリア内での電話1通100円との事だったが、一応羽田空港のド☆モで、設定して貰い、電源を切って出発した。 一緒に行った友達は、ガラケーを持参したが、2人なので、電話をかけあう程迷子には、ならなかったが、いつもは、彼女は、4~5人のグループで海外に行くので、集合場所が違ったりして、携帯は、必須との事。 然しながら、彼女の加入している所は、オーストラリアでの使用は、9月30日で終了だった。


チェックイン後、ホテルの説明書に寄ると、ホテル部屋の電話機からシドニー市内への電話だと最初に0を付ければ、$1で通話可能のはずが、何度やっても出来ず、到着日は、ホテルを出たり入ったりバタバタして夜まで誰にも電話出来ずだった。 携帯番号を貰っていた人達にだけスマホで電話出来た。

到着日の夜、ボンダイジャンクションに住んでいる昭子さんに会いに行く前に、ホテルのコンシェルジュに頼んで、21~22歳、25歳の時にお世話になった美和子・べレスフォードさんに電話を繋いで貰ったら、88歳の美和子さん、足を痛めて普段は、車椅子生活なのに、前日から、ウェルカムの御馳走を作って待っていたそうで、ビックリした。 日本を発つ前に、9月28日に到着するけれど、その日には、行けないからと、何度も説明していたが、ヤハリ通じてなかった。更に驚いたのは、翌日の夜、マタマタ、コンシェルジュにお願いして電話を繋いで貰ったら、88歳の御主人が出られて、彼女は、具合が悪くなって入院したとの事だった。 うかつだった。 88歳の高齢者には、書面で確認すべきだった。 未だ他にもう2組会う予定の人が居ると言うのに、あっと言う間に4日経ち、頭が混乱して、どうなる事やらで、動転してしまった。


マアそれでも、10月2日祝日の日に、3組に会うミッションを敢行。美和子さんには、入院中の病院まで会いに行った。福祉国家のオーストラリアなのに、普段は、介護を頼まず、88歳の御主人が全部面倒を見て居られる。 入院費他は、私立病院以外なら、無料との事。 彼女に会った時の開口一番は、(マァ!アンタ、年取ったねぇ~)だって。 今年の初めから、白髪を染めてないからね。 だけど、私は、自分のグレーヘアを結構気に入ってるんだけどね。それにしても無事に会えて安心した。

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美和子さん宅の御近所のオバサンにも会えた。85歳の元気なオバサン。

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88歳の旦那さんの運転は、最初不安だったけど、何の何のバリバリで、次の出会う人(故 愛子・ハウズさんの長女)の所へ連れて行って貰う。 残念ながら、愛子さんは、昨年6月に急逝された。 愛子さん夫婦が居住されていた家を娘(ジャネット60歳)が、引き継ぎ、リフォームして売るそうで、懐かしいその家は、家族で工事中だった。21歳で会った時には、12歳の少女だったジャネットも早や60歳。 嘘のような時の流れの速さ。

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左から2人目がジャネット。美しかった庭も荒れ放題になって居て哀れさを誘う。後方の家は、お隣。

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次、昼食を一緒に取った後、Cabramtta駅まで連れて行って貰い、スイス人のハンスの元奥さんのローズマリーの所へ。 Concord West駅の真ん前の家なので、簡単!と思っていたら、隣の家と間違ってしまい、庭にズカズカと入り込んで、レモンの木等写して、ベルを押そうと手を伸ばしたら、番地が違っていた。

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無事に会えて嬉しい。スイス人のローズマリー。

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以上でミッション終了!!!


 

多忙中 / 失望と怒り

良いお天気が続いています。 そう思って、2週間前、家の西側の樹齢120年位の渋柿が、豊作なので、Kさんと、2人3脚で、柿をもぐ。 高枝切り鋏が、古くて、うまく操れません。 そこで、夫の釣り用の大きな網で受ける方法を思い立ちました。 2人で、其々100個ずつ収穫。 年々年を取る毎に、後の作業にサッと動けなくなった私です。 やっとこさ夜テレビを見ながら、100個の皮を剥き、ビニールひもに吊るして、一々外の洗濯物干し竿に引っかけに行く。10本あったから、10回出たり入ったり。

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   柿


ヤレヤレと思ったら、3日目に雨の予報。 今までは、ここで、全部カビが入って失敗でした。 今年は、打つ手が無くて、干し場の奥に移動して凌ぎました。 ここ5~6日は、居間のカーテンレールに吊り下げています。 後もう少し。100個は、80個に減。 今後は、冷凍庫入りに成ります。外の冷気に晒したいけれど、日中は、未だ暖かくて、ハエが、たかります。 昔と今の季節の変化を感じます。子供の頃から毎年見ていた母の干し柿作り、目と舌に焼き付いています。

 

↓ 柿繋がりの、柿渋染のパッチのタペ(先週手に入れました)と。

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↓ アジサイを敢えて切らずに今の時期まで置いておいたら赤くなりました。裏は、ベージュ色。吉和では、もっと赤くなります。

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 ↓ 普通のアジサイ

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↓ 今咲いている家で一番の古株バラ

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猫を飼う悩み・選挙・手作り

旅行記は、画像の整理などが、追いつかず(と、言うか、何もやる気が起こらず)時間をかけて記録する事にした。 旅行前からずっと緊張していたのが、帰国で緩んでしまい、天気も悪く、体調も悪く最悪だった。 台風は、直撃を免れて北上して行ったが、日曜日の大雨で、又しても、私の生まれ故郷には、夏以来4~5回目の非難警報/避難指示が出た。翌日は、台風一過の快晴の秋日和で、友達に頼んでいた早生タマネギ苗が取得できそうなので、発破をかけて、畑その他の草刈りをする。

後少しで終わりと言う時(午後4時前)南側の庭を終え、東側へと刈り進んでいた。 茅がススキになっていて見苦しいので、狭い所を刈っていたら、突然草刈り機が止まった! エアコンの室外機や水道ポンプ等がひしめいている狭い所。 屋根から地上まで下りているプラコードを巻き込んでしまっていた。 何の線か分からず焦った。 草刈りどころじゃない! K工務店の社長さんに電話したら、30分もしない内に来られた。 アースを巻き込んでプラカバーが破損していた。 絶縁テープで仮修理して貰った。

富むをうち猫にしてから4カ月弱、猫の生態については、無知だと最近つくづく思う。 野良猫上がりで外に出している為に、いくら去勢をしたからと言っても、野良猫に戻って他の野良猫とギャアギャア喧嘩する。 シドニーから帰って来た時には、アチコチ怪我をしていて足の関節の所は、血だらけだった。 大分前から夜間は、倉庫に入れているけれど、倉庫の壁には、穴が開いている。 まさかのその小さな穴から脱出してしまう。 脱出時の瞬間を撮影した。 顔は、楽々通るが、巨大な腹は、少々引っ掛かる。

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で、息子に頼んでも穴を塞いでは、くれない、私には、出来ない。 K工務店の社長さんに内側から布製ガムテープで塞いで貰った。 ヤレヤレ。 夕方余り早くに餌を与えてはいけないので、待たせていたら餌を欲しがってニャァニャァ鳴いていた富むが、居なくなった。 家の西側の方で2匹の猫の唸り合い、攻撃が始まり、前の家の庭に移動して唸り合い、後の家の庭に移動して唸りあい、私は、オロオロ。 畑の所で見ていたら、裏のお家の奥さんが、窓を開け、猫に向かってフマキラーを噴射。 辺りは、暗くなっていて、奥さんは、私には、気付かなかったと願う。 

噴射された猫達は、後方の団地入口に移動、白黒の富むが見えたので、追っかける私。 富むが油断した隙に雌猫が居なくなり、富むがT家の方に歩いて行くので、呼びかけたら、止まり、捕まえた! 6キロ近い大猫を抱いて帰り、穴が塞がれたばかりの倉庫に入れて終わり。 

教訓: 夕食を大量に与えてはいけない。 エネルギーチャージすると野生に戻る。今回は、オヤツの与え過ぎだった。 うちは、余り御近所付き合いをしない変わり者の家、猫を飼い始めてから村八分な感じを受ける。 友達は、沢山いるから、村八分でも構わないけど、良い気分じゃない。 犬を飼っているお宅は、沢山あるけど、猫を嫌う人は、多い。 猫を飼っていると野良猫もやって来る。 猫を24時間倉庫に閉じ込めたくない。 悩みは、尽きず・・・

取り敢えず穴は、塞いだ。

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選挙があったけれど、自民党王国の山口県。 アベ氏の選挙区は、5人の候補者が立っていて、火を見るより明らかな結果に気の毒に思った。 私達の選挙区は、最悪。 アベ氏の弟のキシ氏対共産党候補者。 キシ氏は、アベ氏より嫌い! 私の周りの友人、知人は、皆共産党候補者に投票すると言っていた。 私は、いつも期日前投票に行く。 昼間に行くと待たずに投票できる。 共産党候補者に入れると息子に言ったら、(嘘~~~!)と言う。 何故? いつも投票に行かない息子は、衆議院選挙には、行くべきと思っているのか、大雨の中、投票に行った。 2者選択だから、キシ氏に入れたのだろう。 自民党に入れたの?と、聞いたら、他の党に入れたって。 どの党か教えてくれなかった。 少しは、投票に行くと言う事を真面目に考えていたのに驚いた。 感心無いのかと母は、思ってたよ。 午後8時の投票結果が出たら直ぐに、全選挙区共、自民党員に当確が出ていた。 ガッカリ。 この先日本は、どうなるのでしょうか?

先週月曜日は、手作り教室の日だった。 いつも大雨。 いつもは、刺し子をするのだけど、今月は、チョット習いたいものだったので、真面目に専念した。 手軽で可愛いので、何個か作って、遅まきながら、シドニーの知人に送る予定。 ポリエステルのチリメンは、縫いにくかったので、私の好きな刺し子で作ってみたら、中々良い。 次は、絣に刺し子で作るのも良い。

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今年は、栗を食べてなかった。 友達のSちゃんが、良質の栗を1キロ余り持って来てくれた。 いつもなら、渋皮煮を作る所だが、今年は、土井善晴さんの(栗ジャム)に挑戦。 栗の美味しい茹で方も知れて良かった。 茹った栗を半分に切るのが大変だったが、ジャムは、簡単に出来た。 残りご飯をすりこぎで鬼殺しにし、一口大のおハギを作った。 お土産にもって行けそうな位美味しい。

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約半世紀の縁(えにし)2

最近、気候の変化が著しく、旅行の疲れや暑い寒いに、体が付いて行けなくなって、体調が下がり気味。 暑さ寒さの激しい時に体調がすぐれない事を寒暖差疲労と言うらしい。私は、老化が酷くなったのかと思う位調子が悪く、めったにしない昼寝をした位だ。 シドニーも春先で、朝晩は、13度、昼間は、24度~26度で、滞在中は、殆ど天気が良くて、暑い位だった。 日本を発った時も帰国した時も同じような天気で、夏服を着ていても汗だくになったりした。マア、旅行中は、不慣れで、冷汗も大分かいたけど・・・

旅行記を記したいと思いつつも、中々纏まらず、苦戦中です。 旅行日を含め8日間の旅だったけれど、5泊6日と短く、プラン無しで行き、午前8時半にシドニー到着後、ホテルに荷物を預け、友達の持参したシドニー市内の地図を片手に徒歩で、ダーリングハーバーにあるビジターセンターへ向かった。 市内を巡る24時間乗り降り自由バス(約$40)、シドニー湾クルージング(約$35)、ブルーマウンテンの乗り降り自由バス($40)を予約した。 5泊6日の間に、約半世紀の縁の方々に会わなくてはならず、中々大変だった。 

道を間違えながら、宿泊先のRydges World Square Sydneyに戻り、14時半頃チェックイン。 持参した荷物を広げ、暫し休憩。 夕方ホテルの部屋から市内在住の知人に電話しようとしたら、かからない。持参したスマホで昭子さんに電話する。急に連絡したにも関わらず、快くお招き頂いて、6時半頃にボンダイジャンクション駅で待ち合わせする。 お会いするのは、実に44年振り、私の事を憶えていて下さっただけでも感激だ。 ホテルと同じ一角に大きなスーパーがあり、翌日の朝食や果物、水等の買い物に行った。 タウンホール駅まで地図を見ながら10分の所を曲がる所を間違えて、逆方向へ進んでいた。 後日も何度も間違えて目的地まで相当な時間のロスが、あった。 それでも、2人だから、心強く、笑い飛ばして終わり。

↓ 5泊したホテル

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↓ 中々良い部屋だった。ホテルについては、後日書きたいと思う。

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↓ 44年間の空白など微塵も感じなかった。真ん中が昭子さん。

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今日のブログ内容は、大した事ないけれど、真夜中の1時になったので、約半世紀の縁(えにし)3を後日書きたいと思う。 

 



約半世紀の縁(えにし)1

5泊6日のシドニー訪問の旅から帰って来た。 普段、田舎町に住み、ゆる~い生活を送っているワタクシにシドニー行きの誘いをかけたT高校時代(軽く半世紀前)の同級生M子さん。 旅の達人(国内、海外)のM子さんと一緒なら、最期の海外旅行も大丈夫だろうと、決心した。 夫が亡くなったのは、2年余前、自分の人生をどう生きたものかと、この2年間考え続けた。 亡くなった夫は、2度と帰っては来ない。 私は、楽しく暮らす事を選択した。


私が、オーストラリアとの縁が出来たのは、13歳、中学1年生の時だった。 中学1年生の1学期にシドニー在住の少女と文通を始めた事で、その頃仲良くしていた1級上のK江さんの(親戚にオーストラリアにお嫁に行った人が居るよ)から、奇跡的に結びつきが発生したのだ。 昨年フジテレビで全国版で放映された戦争花嫁(オーストラリア・アメリカ)を取材した番組に出演された一人が、愛子・ハウズさん、私と同じ村の出身者。 奇跡的な出会いだった。 私の将来の夢は、そこで決まった。 高校を卒業後にオーストラリアに行くと言う事。 四六時中そればかり考えていたが、誰にも言わなかった。


21歳になって直ぐの6月には、シドニー行きの船に乗っていた。 あの頃は、1点しか見えて居なかった。そこへ突き進むエネルギーの凄さ。 愛子・ハウズさんが頼りだった。 シドニー到着後3日目からボンダイジャンクションにあったグレースブラザースと言うデパートで働き始めた。 英語は、聞き取りも会話も殆ど出来なかったが、慣れない着物を着て、真珠売り場に立っていた。 その頃に会ったのが、昭子(しょうこ)さん。 下宿先は、セフトンの若い夫婦(子供二人)の家だった。 1ヶ月後にその家を出る羽目になり、愛子さんの友達、美和子さん夫婦のお宅に移った。

 

2回目にオーストラリアに行ったのは、25歳になった直後の事。 今度は、美和子さんを頼って。 私は、いつも誰かを頼りにしていた。 この恥ずかしい図々しさが無かったら、今の私は居なくて、後悔だらけの一生になっていただろう。2回目の職探しは、昭子さんを通じて、ジェトロの事務員に決まった。 私一人では、何にも出来なかっただろう。



3回目のオーストラリア行きは、定年後の2009年。 美和子さん宅に2週間滞在だった。 美和子さんとは、日本で何度も会っていて、家族同様の付き合いで、車でアチコチ連れて行って貰った。 私って、どこまで人を頼るんだろう。 昭子さんの住所がわからなくなり、その時には、彼女には、会えなかった。 他の友達も亡くなったり、音信不通で会えず。 美和子さんと愛子さんのみ。



今回は、4回目で、最期の海外旅行の積りで、意気込んで乗り込んだ。 何しろ、旅の達人が一緒だから。 私は、成り行き任せタイプだから、何も調べず、又しても彼女を頼ってしまった。 2年間住んだ所だからと安易に考えていたら、2000年のシドニーオリンピックですっかり様変わりしてしまっていた。 その上、市内のアチコチは、工事現場だらけに学校の休暇が始まり、大混雑。 高層ビルだらけで、目印が丸で見えず、方向もわからず。 ババタリアンは、誰彼構わず聞きまくり問題解決。 私が働いていたジェトロの入っていたオーストラリア スクエア ビルディングは、健在だった。 45年前は、その辺りでは、1番高い48階建てだった。 見つけやすいのが良い。


(画像は、クリックすると拡大されます)

スクエア(角い)なのに、円柱形のビル  スクエアとは、広場の事

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この建物が面した広場が、オーストラリア スクエア (カフェになっていた)

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1回目の1969年には、オペラハウスは、建て始めて10年以上経っていたにも関わらず、資金不足でいつ完成か??だった。 それが、2回目の1973年、西部のフリーマントルから乗船したオーシャン モナーク号が、シドニー湾に入港し、完成間近のオペラハウスすぐそばを通って、シドニー着だった。 その後何カ月か後に完成した。

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向かって左側の方角に有名なシドニーハーバーブリッジ

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不覚にも日記を付けなかったので、数々あったお笑いシーンや失敗談等、覚えている範囲で、徐々に、記して行きたいと思います。



  

Appendix

プロフィール

藤色の庵

Author:藤色の庵
山口県東部地方在住。 手作り大好きは、祖母、母からDNAをしっかり引き継いでいます。
8月に仕事を辞め自由人になり、体力低下と闘いながら手作りを楽しんでいます。時々農婦も・・・

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