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藤色の庵の楽書帳 |クリスマスの悪夢 - 体験記2

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クリスマスの悪夢 - 体験記2

体験記1が、終了しておりませんが、体験記2をスタートさせます。 
体験記1は、1969年6月~1970年7月です。 体験記2は、1973年5月~1975年10月です。

24歳になっていた私は、職場の矛盾や反発で夏のボーナスが出たら辞めようと密かに決めていました。
そしたら、3月末に全員解雇、翌日再雇用と言う予期しないような事が突然起こったのです。 退職金の支払いが段々大きくなるので、一旦解雇して、一からスタートと言う事だったらしい。 それで、ボーナスを待つ必要がなくなりました。 解雇だから退職金が全額出たのです。 と、言っても、高々3年余りしか働いてなかったので、大した額では、ありませんでしたが・・・ 1973年の春です。 浅間山荘事件とか、連合赤軍が仲間を殺して埋めたとか、第一次石油ショックとかあった年です。

辞めてすぐ25才になりました。 始めは、アメリカに行って、女中兼子守の予定で話が進んでいましたが、友達の赤ちゃんを抱いている写真を先方に送ったところ、(この話は、なかった事にしてくれ)と、言ってきました。
どうやら、雇う方の夫婦が若くて、日本人の若い女を雇ったら、危ないと奥さんが警戒したらしい。
それで、振り上げた腕のやり場に困って、経験のあるオーストラリアに行く事に急遽変更です。

いずれ、出発から又書く予定ですが、シドニーに着いて半年経った12月、クリスマスの出来事です。
南半球のオーストラリアでは、クリスマスは、真夏です。 24日がクリスマスイブ、25日がクリスマス、26日がボクシングデーとなっています。 初めは、ボクシングデーって何?と、思いましたが、つまり、オーストラリアでは、25日にプレゼントを開けないで、26日に開ける訳です。 ボックスを開ける日と言う訳で、ボクシングデー。

24日の夕方は、日本のお正月のあいさつ回りみたいな感じで、近所回りをします。 それで、大きなハム(足一本)を買って来て置いて、お客様が見えたら、飲み物とハムをスライスして出すという習慣があります。
25日には、家族で集い、正式なクリスマスディナーを頂くのです。 夜には、パーティーもあります。
私は、2回目の訪豪では、一応他所にアパートを借りて一人住まいをし、週末や休みにM子さん宅を訪れていました。 親戚のような顔をして、出かけてました。

その年のクリスマスには、M子さん宅でもパーティーが開かれ、夜遅くまで、外で皆で楽しく過ごしました。
翌日は、M子さんのお友達の娘、確か16-17才だったと思いますが、彼らにシドニーの何とか湾(名前は、忘れました)で、サーフィンをやるから一緒にどうぞと、誘われたので、ノコノコと出かけました。
そこは、サーフィンにもってこいのビーチで波がうねりまくっています。 私は、サーフィンなんか出来ません。
泳ぐには、波が高すぎます。 前夜遅くまでパーティーを手伝ってお疲れの私は、砂浜にごろんと横になり、顔に帽子をかぶせて寝てしまったのです。

2時間くらい経ったでしょうか。 ヒリヒリする痛みで目が覚めました。 何と、照りつける太陽で、体の前半分が茹蛸状態!!! 大やけどを負ったようになりました。 大変、タイヘン!!! 日本の太陽の強さとは、比べようがありません。 家に帰り着いたころには、吐き気までしてきました。 寝たら最後、トイレに行く為に起き上がるたびに気味悪い痛みが全身を走ります。 死ぬかと思いました。

皆に『皮膚がんになるぞ!!』と、散々脅かされました。
その頃、私は、シドニー市内のジェトロで働いており、夜間ウィリアムの紹介でビルの掃除のアルバイトもしていました。 アルバイトは、インドネシア人の女の子と一週間交代でしたが、運悪くその週は、私の番でした。
本職は、訳を話して休みましたが、アルバイトの方が、連絡がつかず、仕方無しに起き上がって、夕方から、電車に乗って出かけました。 瀕死状態で電車を待っていると、電車の到着と同時にバケツをひっくり返したような夕立が突然起き、私は、それまでの痛みも忘れて、電車に飛び乗りました。 人間って、何か他の事や物に気を取られると、痛みも忘れて行動する物なのですね。
電車で40分。 足を引きずって駅の近くのビルの掃除をして帰りました。

あの日に焼いた水着の跡がその後何十年も残っていました。 東洋人の肌は、強いのか皮膚がんにもなりませんでしたが、オーストラリアには、ブラックホールなる物があり、今では、泳ぐ人達は、T-シャツをきて露出部分には、日焼け止めをしっかり塗って泳ぎます。 紫外線は、大敵です。

35年経った今もクリスマスが来ると思い出す悪夢です。 オーストラリアの写真は、整理しないまま行方不明となりましたので、画像は、ありません。

                 

 

この話には、後日談があります。 日に焼けると、痛いのが去った頃、皮が剥けて来るでしょう。
何しろ、焼けたのは、前半分なのです。 それが、真っ赤か。 かっこ悪いのでズボンと長袖で過ごしました

1週間もすると痛みが取れ、今度は、新じゃがの皮が剥けるみたいに皮がボロボロとむけ始め、ズボンが当たると猛烈なかゆみが発生します。 満員の電車の中で一人もだえ苦しんだのです。
下宿の部屋に帰りつくやいなや、着ているものを脱ぎ捨てて、ベッドの上に座り、まず皮を剥くのが仕事でした。
面白いようにむけるのです。 何しろ裸足だったものだから、足の指まで皮がむけました。

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コメント

[C454]

M子さんからクリスマスケーキが送られてきたから
オーストラリアへタイムスリップしちゃったんだね
あちらではクリスマスの頃は真夏なんだね
前半分だけやけどみたいな日焼けして大変~
私も19歳のときに三宅島で水着で自転車一周したら
ゴリラみたいに真っ黒になってね
皮がポロポロむけてひどかったのよ
当分サンダルのあとがとれなかった
若いときって無茶しちゃうね

[C455]

オーストラリアもホームパーティーが盛んなんですね。

場慣れしてないと緊張して楽しめないものだけど、
流石は藤さん、すっかり溶け込んでらしたのね。

身もだえするほどの日焼け後の痒みはまだ経験ないです。
痒いのって痛いより辛いときあるもんね、昼寝の代償は大きかったねぇ~

[C456]

☆アンさん
顔に帽子をかぶせていたのがせめてもの救いでした。顔まで焼けたらと、想像するだけで恐ろしい。
アハハ、アンさんも焼けてゴリラ? 日焼けの後の皮って、面白いくらいぺリ~っとむけるよね。

☆こまははさん
実は、私は、若い頃非常に恥かしがり屋の上、消極的、内に秘めた物は、噴火しそうなほどの好奇心と無鉄砲さでした。 パーティの時には、大体裏方さんでしたが、人の話を聞いているのは、楽しかったです。

若い時には、日焼けしても余りシミにもならなかったのに、今や・・・
  • 2008-12-17 11:20
  • 藤色のアン
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  • 編集

[C460]

でもさ~?なんでそんなになるまで気が付かなかったの?熟睡・・爆睡?だったんでしょ?
要するに~焼き豚状態だったわけだ~v-411

[C462]

☆mimakaさん
まさに焼き豚よ。うまい事言う! 良く太ってたわ、あの頃。 そして、爆睡だった!
やっぱりあの頃から睡眠不足だったのね、私。
  • 2008-12-19 00:00
  • 藤色のアン
  • URL
  • 編集

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プロフィール

藤色の庵

Author:藤色の庵
山口県東部地方在住。 手作り大好きは、祖母、母からDNAをしっかり引き継いでいます。
8月に仕事を辞め自由人になり、体力低下と闘いながら手作りを楽しんでいます。時々農婦も・・・

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