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藤色の庵の楽書帳 |船上生活の始まり

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船上生活の始まり

1973年5月12日乗船。 夕食で他の乗客と食卓で初めてのご対面でした。 前回の船では、乗客が60人くらいいたので、給仕は、中国人でしたが、ヤートルードバッケ号の乗客は、12名なので、ノルウェー人の若いスチュワーデス(もちろん女性)が、私たちの食事の給仕他をしてくれました。 彼女の名前は、ライラ、22歳で身長が175cmくらいの大柄な金髪女性。 それまで、船の上に女性の乗組員がいるのを知りませんでした。
ノルウェーは、日本と同じように周囲を海に囲まれていて、漁師や海運関係で働いている人が圧倒的に多い国です。 もう一人ノルウェー人オフィサーの食事他の仕事をしている女性乗組員もいました。

25歳の私は、肉が苦手で一切口にしていませんでした。 この船は、小さくて家庭的だったので、私だけ皆と違う食事を出してもらうのも可能でした。 大体白身魚を蒸したりバター焼きしたようなのが出たと記憶しています。

さて、乗船した物の船は、一向に出港しません。 海運ストライキが長引いて横浜に停まったまま日にちが過ぎていきます。 ワタクシには、少々困った事がありました。 あの当時、パスポートは、有効期間が半年と5年とあり、不覚にも私は、12月に半年の分を取得していました。 ケチった結果です。
その有効期限が目の前に迫っていました。 正確には、5月16日には、国外に出ていないとパスポートは、無効になったのです。 一応出港は、15日の予定だったのでヒヤヒヤしていた物の何とか成るだろうとたかをくくっていたらマタマタ延びて不明。 

この船の船長は、ノルウェー人でしたが、アイスランド人の奥さんがいて、香港で船を降りて国に帰ることになっていました。 彼は、酒飲みで酔うと女性に言い寄る癖がありました。 ある夜私は、寝巻きに着替えて自室でくつろいでいた所「コンコン」と、ノックの音がして、顔を出してみると船長でした。 「船長室に来ませんか? お話でもしましょう。」と、言われ、断れば良いものをのこのこついていった私は、大ばか者でした。

貨客船の船長と言えども、船長室は、超豪華な部屋でした。 私は、お酒は、飲まないので、コーヒーを入れて頂き、フツウの話をしていましたが、彼は、やたらと隣の部屋に私を誘い始めました。 そ知らぬ顔でコーヒーを飲んでいたら、彼の部下であり友人の乗組員2人がやってきたので、私は、「それでは、失礼」と言って、自室に引き上げました。 そういうことに極端に疎い私の大失敗話です。 どうも船長は、素面では、気がちいさいらしく、その為に私は、彼の餌食にならずに済んだのです。 今思うと恐ろしい話です。

その後も、会えば船長は、とても親切で、私は、パスポートの件を相談しました。 もちろん彼は、船会社の人に手配してくれて、15日中に入出国管理事務所に連れて行って事情を話し、パスポート上に「出国」のスタンプを押してもらえました。 船は、16日夜まで横浜に停泊していました。 一件落着。

船が停泊している間は、ホテルに泊まっているようなものですから、乗客は、毎日外出できました。
私は、タクシーで桜木町駅まで出て、横浜駅前で買い物をしたり、山下公園を散歩したりしました。 ある日、山下公園でお腹の具合が悪くなり、ベンチに座って休んでいると、男性が話しかけてきました。
横浜を案内してやると言うのです。 おのぼりさんの私は、マタマタ、つられて外人墓地だの中華街だのいっしょに歩きました。 どうも軟派されそうになったようです。 で、船で2-3日後にオーストラリアに向けて発つと言ったら、その男は、船の中を見たいから連れてってくれと言うので、断ってさっさと逃げました。
やっぱりイナカッペの芋ネエチャンだから、外人にも日本人にも騙されそうに成るんですよね。

ある日は、外人乗客の殆どが銀座に行きたいと言うので、一応日本人だから、それくらい案内できるだろうと簡単に考えて引き連れてカッコ良く(勝手にそう思っただけ)電車に乗って出かけました。 行きは、ヨイヨイ、帰りは、コワイでした。 目的地に向かって(銀座ならなおさら)行くのは、簡単でした。 しか~し、帰りは、どの電車に乗ったら良いのかサッパリわからず、適当に案内板を見ては、乗って帰ったものだから、途中で2-3度電車から降ろされ、ホウホウのていで桜木町駅まで帰ってきました。 やっぱりオノボリサンデシタ。

いよいよ16日の夜、門司港に向けて出港になりました。 門司港には、入港しないと言ったのは、誰でしょうかね? 然し、横浜に行ったお陰で面白い経験や危ない経験もしました。 出港合図のドラの音は、何度聞いても興奮します。

 

                              (続く)

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コメント

[C526]

おぉ~危ない危ない^^;
きっと、藤色のアンさんが可愛かったのでしょうね。
私はナンパされた記憶がないんですけど。(爆)
オットに拾ってもらって良かったです。v-8
わざわざ横浜まで行って、門司港に行くなんて!!
昔は情報やらなにやら、大変だったのですね。
そんな時代に渡航された藤色のアンさん、尊敬します。^^
  • 2009-01-20 07:01
  • ameri
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[C527]

すごい経験しちゃっのね。。。
船長さんにナンパされるなんてフジちゃんかわいかったから当然よ。
危なかったけど今となればいい思い出だね
それにしてもパスポート期限ぎりぎり!!!
はらはらしどおしの旅のはじまりだね

[C528]

☆ameriさん
若い時は、ボ~っとしてたので、危ない目にあいました。でも、一歩手前で無事でした。
軟派されたのは、可愛かったからでは、ありません。船の中は、男性社会、その上、乗客と来たらジーさん、バーさんばかりの中に若い女は、たったの3人だったからです。しかもノルウェー人の2人は、既婚者と婚約中でしたから、残るは、私一人だったわけ。

☆アンさん
私は、オーストラリアに行くまでは、親元を修学旅行か親戚に行った以外離れたことがないイナカッペで、私にナンパしてくる男がいるとは、想像もしてなかった。 決して可愛かったからでは、ありません。

2回目の旅は、2年半に及びますが、後半では、もっとすごいのが待ってます。お楽しみに(エッ!)。
巷では、ヨーロッパのどこかでさらわれたり、殺されたりもあったようですが、神様が守ってくださったようです。危険と隣りあわせだったものの、無事でした。
  • 2009-01-20 14:55
  • 藤色のアン
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[C529]

一歩手前で危険を回避できるのは藤さんの機転だと思いますよ。
それプラスおっしゃるように神様のご加護があったのでしょうね。
人をわくわくさせるような体験談、私もご披露したいけど。。。これといって無いですね。


[C530]

☆こまははさん
私自身が、危険な目に遭遇していると言う実感が無いほどボ~っとしていたんですから、ラッキーとしか言い様がありません。 今思い出すとゾッとしますけどね。

何も大変な事がなく平和に事が進むのが一番ですよ。
  • 2009-01-21 13:03
  • 藤色のアン
  • URL
  • 編集

[C531]

1973年?ふむふむ・・私はもう結婚していたわ~。
銀座もカッポして歩いたこともあるのよ~~。
そのころの横浜はまだまだ静かで山下公園が観光スポットの時代でした。
難破ならまだしもアンさんのは違いますよ~v-404それは今度また・・。
ほんと!無謀なことをしたものです。知らぬが仏。

12人の乗客とは家族的でしたね。
そしていつの時代も女は餌食になりやすいのね。
まあ~今はそんなことには縁遠いですがv-411
芋姉ちゃんも芋ばあちゃんになっちゃったのね。

兎に角アンさんの経験談は興味深々。

[C532]

☆mimakaさん
山下公園でナンパをしかけた男、外人墓地の坂を下ってた時に、私の手を握ろうとしたので、(ヤバイ!そう言う事か)と、気づいたわけです。
気づいたらかわすのは、速いですよ。

船長は、その後もチャンスをうかがってましたよ。何とか手を出したかったみたいです。でも、人前では、それが出来ないので、私には、とても親切で操舵室なんかも見学させてくれたりしました。私も終いには、利用してました。もちろん彼の後は、2度と付いていきませんでしたが。

ヨーロッパでは、もっとすごい事が!!!
  • 2009-01-21 16:51
  • 藤色のアン
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藤色の庵

Author:藤色の庵
山口県東部地方在住。 手作り大好きは、祖母、母からDNAをしっかり引き継いでいます。
8月に仕事を辞め自由人になり、体力低下と闘いながら手作りを楽しんでいます。時々農婦も・・・

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