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藤色の庵の楽書帳 |2度目のオーストラリア   門司港を発って

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2度目のオーストラリア   門司港を発って

手作りが停滞気味なので、その気になった時(?)体験記を入れる事にしましたが、不定期です。 又予告無しにあちこち時と場所が飛びます。
今日は、順番通りに前回門司沖に停泊してから停まっていましたので、その続きから・・・

25歳直後の5月16日夜横浜を発った(ヤートルードバッケ号)は、寄港しないはずだった門司港に寄港する事に成り、5月17日夕方門司沖に到着。 入港は、翌朝になり、5月17日は、ノルウェーの建国記念日と言う事で、夕食後デッキでパーティでした。 日ごろ顔を合わせないノルウェー船員たちも、仕事についている人以外は、私服に着替えて、デッキで交流。 ノルウェー人って、明るい陽気な人が多いのです。
名前は、忘れたけれど、いつもアコーデオンを弾いて歌う人は、皆の中心です。
私は、奮闘して着物を着ました。 ここで、初めて、21歳のコックの男の子と話をしました。 日本人の彼女が居たそうですが、香港で船を降りて、国に帰ると言っていました。

パーティが終わって、部屋に帰ってくつろいでいたら、ノックする人が。 ドアを開けると、コックの男の子がいました。 (ロブスターを食べるか?)と言うので、食べた事なかったので、(食べる)と、言ったら、キッチンに行って、取ってきました。 マヨネーズも。 一人で美味しく頂きました。 マタマタ無用心な私。 台湾に着いたら、一緒に買い物に行こうと誘われました。 それで、ウィンクして部屋を出て行きました。 若いって良いなと、若い私に嫉妬している私がいます。

翌朝予定通り、門司港に寄港しました。 門司の近くには、1度目のシドニー行きの時キャビンが一緒だったたまえちゃんがいるので、電話すると、夕方、船に来てくれました。 門司港には、3日間位停泊していたので、たまえちゃんの家にも泊まりに行きました。 又、親戚一同に内緒で出てきていたのですが、丁度家を改築していたので、電話を入れると、一番苦手な叔母さんが、電話に出ました。 

台湾に向けて出港すると、マタマタ船酔いが始まり朝食抜きで寝込んでしまいました。 台湾は、基龍(キールーン)と言う港に寄港しました。 全然勉強して行ってないので、どこが、どこやらです。 コックの男の子とショッピングに行く予定になっていたのに、仕事から解放されず、仕方ないので、スチュワーデスのライラとタクシーで2時間の所にある首都台北にショッピングに行きました。 特に記憶がないのですが、やけに道路がガタガタで、そこを軍のジープがぶっ飛ばして走っていて随分危険な感じがしたのだけ覚えてます。
夜は、基龍の船会社の方からの招待でチーフスチュワードと地元のレストランに行きましたが、好き嫌いの多かった私は、運ばれてきた中華料理(実は、生まれて初めての中華)になじめず、箸をつけないで、台湾人のひんしゅくを買ってしまった。 チーフスチュワードは、なれているせいか大きな魚の頭だけの料理にも箸をつけてました。 感心感心。

基龍を出た船は、香港に向けてひた走り、乗客は、食事以外する事がなく退屈で退屈で。 その内に、チーフスチュワードの仕事部屋に遊びに行くようになり、非番のノルウェー人船員たちもいて、(オルソン)と言うトランプゲームに講じるようになり、結構楽しく過ごせました。 ノルウェー語も教えてもらったり。 皆若い船員たちだったけど、危険性も無く無邪気に遊べました。 
船は、南下して行き、暑くなり始めました。 

乗客は、私以外は、70代のご老人ばかり。 彼らは、オーストラリアから船に乗って、日本、台湾、香港をクルージングして、西オーストラリアに帰る人たち。 私は、西オーストラリアに向かっていく乗客。 香港が最後の外国の寄港地と言うので、ご老人達は、香港で最後の買い物です。 どこがどこやら訳のわからない私は、彼らについていく事にしました。 

船は、香港の港には、入らず、沖に停まり、船が停まるや否や、小さなボートがなん十隻もあっと言う間に寄って来て、ヤートルードバッケ号に中国人たちが上がってきました。 予想外の出来事で、びっくりしました。 香港の港は、混雑しすぎで、寄港できないようです。 小さなボートの上で生活している人達も一杯。 鶏や犬もボートの上にいました。 商人達は、品物を船上に運んで、リビングルーム(サロン)で店開きです。 私は、中国服のようなパジャマを手に取ると(15ドルだよ!)と言うので、(高い!)と言うと、12ドルに下がり、私は、7ドルにしろと値切る。 7ドルには、出来ないと言う。 (じゃあ、要らない)と言って、部屋に帰ると、追っかけてきて、5ドルで交渉成立しました。 その当時の米ドルは、1ドル=330円。

ランチの後で、ご老人達と香港島へ上陸です。 船は、沖に停泊しているので、デッキから、下の小さなボートに綱はしごで降りて乗り移らなければなりません。 私は、若かったから何とかなったけれど、ご老人達は、たいへんでした。 上陸後、タクシーでカールーンと言う所に行きたいのに、タクシーの運転手に言葉が通じません。
無線を通じてご老人が英語で伝えやっとこさショッピングセンターへ到着。 慕情で有名な丘に行きたかったけれど、ご老人達は、ショッピングに目の色変えているので、行けませんでした。 残念。
香港には、船は、半日しか停まらなかったので、マタマタあの小さなボートでご帰還でした。 真夜中に船が出たので、起きて100万ドルの夜景を楽しみました。 宝石のような輝き。 今でも、目を閉じると浮かびます。
でも、2度と行く事もなく36年過ぎました。

船は、南下し続け、オーストラリアに向かいます。

 

(続く)

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コメント

[C861]

100万ドルの夜景ってどんなか私の頭で想像してみたけれど・・・・本で見る通りなのかな~・?

36年たってもこれだけの記憶からの記録を文章にできるなんて凄いな~。
私は36年前?って感じですよ。
やっぱり凡人の私とは経験も違うので記憶力も違うみたい。

[C862]

脳学者茂木健一郎さんが、昨日だったか一昨日だったかテレビで言ってました。 普通に流れていく日々だと特に記憶に残らないそうですが、何か事件があったり、自分に取って特別な事があった日のことは、詳細を覚えてる物だそうです。 その例として、(911の同時テロのニュースは、どこで聞きましたか?その時何をしていましたか?)。 
然し幾らなんでも私も36年前の事は、人名や場所名は、中々出てこないし、忘れてる事も多々あります。

物忘れを防ぐのには、日記をつけたり、ブログを書いたりが、とても良い訓練になるそうです。 昨日は、何を食べたかなと思い出したりだって、訓練になるそうです。 筋肉みたいな物だそうです。 

100万ドルの夜景、本当に本で見るのと同じかそれ以上でした。 あと、40年前飛行機上から見たシドニーの夜景も覚えています。 そのくらいのインパクトですね。
  • 2009-06-22 13:12
  • 藤色のアン
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  • 編集

[C863]

二度目のオーストラリア
ノルウェーの船で行ったのね
今度の船旅も二日酔いで大変そうだけど、楽しいこともたくさん
あったみたい。ほんとにフジちゃんの記憶力はすごいです。
香港にも上陸できて夜景も見れて、百万ドルの夜景は今も
目に焼きついているんだね。
ほんとに特別なことって記憶に残るものなんだね。




  • 2009-06-22 21:46
  • アン
  • URL
  • 編集

[C864]

☆アンさん
ノルウェー船でオーストラリアに行った事が、1年後にヨーロッパに行く起爆剤になりました。 船に乗る前は、全然計画は、立てていなくて、オーストラリア滞在も3ヶ月位かなぁ位でした。
でも、1年後にヨーロッパに行く事に決めたので、シドニーで働いてお金を貯めなくては、と成った次第。 行き当たりばったりよ。
若い時は、随分無鉄砲だったものです。 今思うと冒険だね。
B型の特徴かな。
  • 2009-06-22 23:36
  • 藤色のアン
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藤色の庵

Author:藤色の庵
山口県東部地方在住。 手作り大好きは、祖母、母からDNAをしっかり引き継いでいます。
8月に仕事を辞め自由人になり、体力低下と闘いながら手作りを楽しんでいます。時々農婦も・・・

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