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藤色の庵の楽書帳 |いざ出陣じゃなかった出港!

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いざ出陣じゃなかった出港!

先に(真珠売りの少女)など書いてしまいましたが、逆戻りして出港、そして、船の中のことを少し。
約2年勤めた会社を予定通り4月に辞め、5月10日の出港に合わせて準備をしていました。
パスポートは、早めに取ったのですが、ビザの取得に手間取り、一時は、出港日に間に合わないかとヤキモキしたのです。

会社の専務に「実は、オーストラリアに行く予定なんです」と、話したのが、3月。 もう、辞めるので、仕事を休んでは、岩国市内の旅行代理店と交渉です。 私が利用したのは、J○B。 その頃、日本旅○なんてのもありましたが。 私も仕事を抜けては、わざわざ岩国市内まで汽車で出るのですから、用事は、的確にテキパキして貰いたいと思っていても、J○Bの係員、M氏は、いたって呑気。
予約を取っていても、行ってみたらお休みと言う事もありました。

独身の女性がオーストラリアに行く場合、結婚相手を見つけて居座られるのを嫌うオーストラリア政府は、中々ビザを発行してくれず、しかも持参するお金が10万円と少ない私は、あっちへ放られ、こっちへたらい回しされ、最後には、広島のJ○Bまで行かされて、そこの人が領事館と掛け合ってくれ、親の保証書を取ってくれとまで言われました。
うちの母親と来たら、何と書いたら良いのか分からず、おまけにミミズのはったような字で書いたもんだから「もうちょっと書きようがあるでしょうが」と、侮辱されました。

ついでに、保証人であるA子さんからの生活を保障するという手紙まで提出せよと言われ、ちょうど貰っていた手紙の2枚目にそういう文章があったので、送りました。 本当は、3枚目があり、そこには、到着後のアルバイトの事が書いてあったんですよ。 これを一緒に提出した日には、却下でした。

時は、5月の港湾ストの真最中。 出港が10日遅れ、又遅れを繰り返し、ついに6月10日と決まりました。 ところが、一向にビザが降りないのです。 毎日イライラの連続でした。
流れ星を見て願い事をすると叶うと聞いていたので、空を仰いでは、願掛けでした。
そして、ついに6月5日待望のビザが取れました!!!

1969年の6月でした。 その頃は、まだ海外旅行は、珍しく、特に私の育った村では、そんな無茶をする人なんか居ませんでした。 親の知り合いが大勢餞別を持って挨拶に来られました。
私は、船に乗るまでは、夢が叶ったとは、信じていませんでした。 
6月9日、私は、支度をして、近所の人たちに挨拶に行き、私と両親は、汽車で神戸に向かいました。
ところが、岩国駅で汽車を待っていた時に電話が入り、出港が又1日遅れると言われましたが、引き返すわけには行かず、そのまま神戸に向かいました。

三宮に宿を取り、3人で船会社へ行きました。 出港まで待つしかなくて、3人で神戸の観光を少しだけしたのは、良い思い出です。 出港は、6月12日まで延びて、11日の午後は、神戸の大学に通っていた高校時代の仲良し2人と六甲山公園に行ったりして、夕方両親と落ち合って、一緒に船の所まで行きました。 結局両親は、田植えの真っ最中だったので、私を船まで送ってから帰って行きました。 その夜から見知らぬ人たちとの生活が始まったわけですが、不安もホームシックも全く無く、すっとその中に入っていきました。 その瞬間まで夢が叶うと思っていなかったのですから・・・
親は、寂しかったと思うのですが、彼らを思いやる余裕は、私には、ありませんでした。

船の名前は、(Eastern Queen)。 9千トンの貨客船です。 60人の乗客がいました。 もちろん私の船室は、船底に近い劣悪部屋。 2段ベッドが二つ、通路が1畳位の劣悪状態。 でも、嬉しくて嬉しくて。 同室者は、横浜から乗船した20歳のたまえちゃんと由美ちゃん、そして、ポルトガル籍の中国老婦人フランコさんの4人でその後の13日間を共に生活したのでした。

 1969 - 1973018

食堂は、2階で皆で、そして、トイレ、シャワーは、共有でした。 値段の高いキャビンには、お風呂とトイレなどついていたらしいです。 超日本的な生活しかしたことの無かった私は、シャワーなんて使った事もなく一体どうしたらよいのやらさっぱりわかりません。 仕方ないので、恥を忍んで同室の由美ちゃんに教えてもらいました。

さて、トイレが問題でした。 西洋トイレなんて物を見たのは、生まれて初めてです。 こんな事まで由美ちゃんに聞くわけには、いきません。 で、考えて考えてした事、それは、あの細いトイレシートの上に上がり、日本式トイレと同じやり方をしたのですから、お笑いです。 船は、常に揺れていたのですから落ちそうになったりしました。 あの囲いの中で一人悩みました。
後に旅行記なんかを読んだら、私と同じ事した人がいました。 

                       (明日に続く)
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コメント

[C100] No title

トイレ、便座の上に立ってしたんだ!!
うわっ、すごい格好だね
って、、、私も小学校2年生のときに小樽に住んでいたのだけど
隣が牧師さんの家で一つ年下のリチャード゜とよく遊んでいたの。
それで、彼の家でトイレのつかいかたがわからなくてフジちゃんと
同じかっこうしてしたの思い出した。
彼はいまごろアメリカにいるんだと思うけど、私のこと覚えてくれて
いるかな。初めてできたボーイフレンドがアメリカ人ってかっこいいでしょ。フジちゃんにはとてもかなわないけど。。。
  • 2008-08-08 11:48
  • アン
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[C101] No title

あれ?朝もおじゃましましたが写真が違いますよね?
私は長文、好きです。
ゆっくりと読む楽しみが多いほうがいいです~。

感想はうまく表現できませんが毎日が楽しみになりました。

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[C103] No title

☆アンさん
そうなの、リチャード君ねぇ。 やっぱりあちこち転勤で行ってる人は、やはり人懐っこいと思いました。 誰とでもすぐお友達になっちゃうもんね、アンさんは。
私は、オーストラリアに行くまでは、どこにも行った事がなく、とっても消極的で尻込みする性格です。 勤めて直すようにしてますが、生まれつきの性格は、中々直りません。

☆mimakaさん
実は、画像の取り入れ方がおかしくて、もう一回スキャンし直して、一枚は、消しました。 本当は、船をバックにした写真があるはずなのに、見つかりませんでした。

そうですか、長文OKですか? 私は、かいつまんで話したり書いたりが苦手なので、ついつい長くなります。
思い出し思い出し書いています。 ちょっと冷や汗物です。
  • 2008-08-08 23:20
  • 藤色のアン
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プロフィール

藤色の庵

Author:藤色の庵
山口県東部地方在住。 手作り大好きは、祖母、母からDNAをしっかり引き継いでいます。
8月に仕事を辞め自由人になり、体力低下と闘いながら手作りを楽しんでいます。時々農婦も・・・

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