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藤色の庵の楽書帳 |雪降り

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雪降り

今日は、朝から雪降り。 お昼過ぎの今は、雪混じりの雨になってます。
今日は、外出の予定は、無しで、良かったぁ~。
明日は、10時からトールのクラスですから、こんなお天気だと
先生宅の団地は、急な坂を登りつめるので、どうなる事やら。

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ピンクの梅、先日満開を迎え、花弁は、散ったけど、凍りついてます。

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雪と言えば、思い出すのは、スイス、ノルウェーの事。
久しぶりに体験談でも書いてみますか。
何しろ、35年前の記憶もおぼろな今日この頃です。


1974年、転がり込んだ先のアン・エリースのお陰で、スイスは、
チューリッヒから汽車で45分の所の小さなBaar(バール)と言う村の
高台にあった高級住宅地を登りつめた所に住んでいたアメリカ人一家の
女中兼子守りの仕事にありつき、無事、食と住を確保したのです。
8月末の夜、それは、ひどく寒い夜の事、アン・エリースのオーバーコートを
借りて、アン・エリースと、彼女の婚約者に連れられて、O家に引っ越しました。



ご存知の通り、スイスは、観光の国。 誰もが、英語が通じると思うでしょう?
所が、普通の人は、イタリア語やフランス語は、話しても、英語は、後回し。
その昔、繰り返された戦いのせいで、一つの国の国境が何度も変わっていた為に
公用語が、ドイツ語、イタリア語、フランス語の3つあります。
私のいた地域は、スイス訛りのドイツ語地域です。



この言葉の問題が、私に幸運をもたらしたのです。
私は、只の観光旅行者ですから、働くのは、不合法です。
でも、その昔は、そんな事どうにでもなったんです。
オランダから、列車でスイス入りした為か、検問もなく
期限も無くスイス入りです。 ですから、私のパスポートには、
スイスに滞在したという証は、ないのです。
アメリカ人一家は、何としても、英語を解する子守りを探していました。
アン・エリースと行った面接で簡単にパス。 ホント、ラッキーな事でした。



住み込みの女中兼子守りは、想像以上に大変でした。
私の一番苦手な部類の仕事ですから。 でも、生きて行く為には、
我慢するしかありません。 O家には、8歳の女の子、7歳の男の子、
6歳の障害を持った女の子の3人の子供がいました。
最初の夜、子供たちに紹介された時、8歳の子が、私を見て、
両手の指で目じりを吊り上げ、(これは、中国人)、次に
吊り下げ、(これは、韓国人)と、言いました。 私:じゃあ、
日本人は? 彼女:片目を、吊り上げ、もう片方は、吊り下げ、
(これが、日本人)。 笑っちゃいました。 子供の発想って、面白い。



上の2人の子は、全く手が要らず、その分6歳の子が、2歳くらいの
知能で、結構手こずりました。 両親は、32歳と31歳のニューヨーク出身者。
旦那様は、フィリップ社の欧州副社長です。
日中は、上の2人の子達は、地元のインターナショナルスクールへ、
旦那様は、会社へ、奥さまは、チューリッヒの特殊学校へ下の子を
連れて行き、夕方まで、誰もいない所で、家事をするのが日常でした。



料理は、奥さまが大得意なので、私は、電話で言いつけられる
ジャガイモの皮むきや、玉ねぎのみじん切りなどしておけば
良いのです。 夕食は、大きな丸いテーブルで女中の私も
何の差別もなく一緒です。 子供たちが、失礼な口をきこうものなら
親に大目玉です。 


私の休みは、水曜日と日曜日。 大抵、外出してました。
住宅地のてっぺんから、下までテクテク歩き、Baarの駅から
汽車で隣町のZug(ズーグ)まで出て、Zugで働いていた
アン・エリースと昼食を一緒にしたり、ウィンドーショッピングしたり。



9月に雪が降りました。 日本では、考えられない事です。
遠くに見える高い山々が、雪に覆われるのが見えるようになりました。
本格的な雪は、11月位からだったと思います。
雪が降り、解けると、ぬかるんで歩きの私は、困ります。
休みの日、下の町に降りて、ブーツを買う事にしました。
英語が通じないので、小さな英独辞書を持って、一生懸命
指差して説明する私をご想像下さい。



外人の足は、長細く、然も、足首が極端に細いのです。
典型的大根足の私。 英語で(太い)と言うのを引いて、
ジェスチャーで説明です。 やっと手に入れたブーツは、
不本意なデザインでしたが、仕方ありません。
でも、そのブーツ、その後、ずっと愛用しました。


12月に入り、O家は、一家で2週間ほど、かの有名な
ダヴォースにスキー旅行に出かけることになりました。
一家は、アパートを借りて、私は、1週間だけ、地元のホテル住まいに
なり、スキー場に行って、私は、下の子の子守りです。
夜ご夫妻が、お出かけの時には、アパートで、見張り兼子守り。
スキーのスの字もさせてもらえません。


旦那様が、朝ホテルまで車で迎えに来、夜は、送ってくれていました。
ある夜、旦那様は、少し酔っていました。 私の事を どう思っていたのか想像もつきませんが、
あの理性的な 旦那様が、その夜、私の部屋まで一緒に上がってきて、
キスされそうになりました。 ビックリ仰天です!
部屋から、追い出しても、ドキドキが、止まりません。
その後は、何もなかったように、過ぎて行きました。



1月には、3週間の休暇を貰い、真冬のノルウェーの友達の所へ
スイスからデンマークのコペンハーゲンまで、汽車に乗り、そこから
ノルウェーのオスロまで汽車を乗り換えて深夜にオスロ着。
駅で超安いホテルを紹介してもらい、一泊。 翌朝早くに オスロからトロンドヘイムと
言う所まで飛行機で行きました。
ノルウェー語が、わからないので、私と同じ切符を持っている人を 探して、後ろを付いていき
無事に飛行機に搭乗。 あの頃の私、恐れ知らずでした。



トロンドヘイムから、目的地のスクトヴィックまでは、 8時間の船旅。 船旅と言っても、
真冬の北欧は、昼間も真っ暗です。 夜の海を延々と北極圏内までの航海です。
無事スクトヴィックに着いたのは、夜10時ころ。
波止場の近くのフルダ叔母さんの家の扉をたたきました。
雪が2m位積ってた夜です。



フルダ叔母さんは、私の友達のWの家まで連れてってくれました。
そこを拠点にあちこち行きました。
何がどうであろうと、真冬は、ほとんどが真っ暗な日々、夏は、
逆に陽が暮れない日々をそんな物として、人々は、
明るく生活しています。 私一人が戸惑っていたかも。

長くなりますので、続きは、又後日・・・・・ 
予告:  もっとドキドキな展開が・・・ 




続きを読むに入れたかったのに、画像のせいで、そこに書いた記事が消え去り、
凍結してしまったので、ここに書くしかありません。
そんなわけで、長々となります。

ポシェットの蓋は、キルティングが終わり、先へ進みたいのに
材料を山荘に置いている為続行不可能です。
手持無沙汰になったので、来週月曜日に使う祖母の喪服を
解く事にしました。 真っ黒クロスケで、見えませ~ん。 

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そして、探し物をしていて、こんな物を見つけました。
10年くらい前に作ったクロスステッチのカードです。
アメリカ製です。 中々良いけど、布目が荒いですね。

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コメント

[C1359]

1974年のときって23歳??
スイスにいたのね
それも小説みたいにドラマチック!!
アン・エリースが出てくるし
子守したりご主人さまにキスされそうになったり
まままっ
そんなことがあったんね~~びっくし
いろんなこと経験したんだね
つづきが待ち遠しいワン!!

手づくりもいろいろしたんだね
クロスステッチが出てきたり
整理するたびにびっくり箱みたいに何か出てくるね♪
いやぁ~フジちゃんって楽しいわ♪



  • 2010-03-11 17:33
  • アン
  • URL
  • 編集

[C1360]

☆アンさん
1974年、私は、26歳でした。 アン・エリースには、色々お世話になり、そのお陰で無事に日本に帰ってこれたとも言えます。
旦那さまには、その後、マタマタです。
ちょっと、物語みたいな展開よ。

この間から雪で外に出たくないので、3日間家に閉じこもっていました。 今日は、トールのクラスに行ってきましたが、しばらくやらないでいると、絵を描くのが、下手になるみたいです。

明日は、久しぶりの陶芸です。
  • 2010-03-11 19:26
  • 藤色のアン
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プロフィール

藤色の庵

Author:藤色の庵
山口県東部地方在住。 手作り大好きは、祖母、母からDNAをしっかり引き継いでいます。
8月に仕事を辞め自由人になり、体力低下と闘いながら手作りを楽しんでいます。時々農婦も・・・

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