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藤色の庵の楽書帳 |オーストラリア滞在で学んだ事

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オーストラリア滞在で学んだ事

若い時、私は、「趣味は、何?」と、聞かれたら、それは、漠然としていて「読書」くらいしか答えられませんでした。 高校を卒業し就職して2年後を睨んでお金を貯める事は、一番の目的でした。 然し、それだけに邁進出来ないのがワタクシ。 就職後半年たった頃、空いている夜は、デートも無く、何もする事がないので、高校時代の同級生と町内の文化服装学園に通い始めました。 何となく縫い物は、好きだったのです。

その当時、嫁入り道具の一つといわれて人気だったのは、洋裁、機械編み、華道、茶道などでしたが、偏見だらけの私は、引き算して残った洋裁を文句なしに選びました。 と、同時に母が、月500円ずつ編み機かミシンかでかけていて、私は、マタマタ文句なしにミシンに決定。

週5日間2時間の授業がびっしり。 最初は、製図ばかりでした。 約1年半通いました。 で、その当時は、若さ一杯エネルギー一杯だったので、自分の洋服を縫っていました。 今思うとその当時の私は、163cmで53キロだから、それ程大きい方ではないにもかかわらず、ピッタリ合う洋服が少なかったので、自分で作ろうと頑張ってました。

もしも今のように手作りが趣味だったらば、船の中で退屈をする事は、なかったでしょう。 
真冬のシドニーに到着後すぐに働き始め、真珠のネックレスを作り始め、それを教えてくれたS子さんと言う戦争花嫁さんが、帰りのバスの中で一生懸命やっていた事 - それは、編み物だった!
外人は、手先が不器用と言うのが、その当時の常識、所が、日本では、殆ど手編みをする人が居なかったのに比べ、オーストラリア人は、汽車の中、バスの中で色々な人が、手編みをし、手編みのセーターを着、家族も手編みのセーターを着ているのです。 私には、驚きでした。

下宿から引きはらい、ホームステイさせて貰ったM子さんに編み物の事を聞いたら、編み物の本を売っていて、その通りの毛糸と針を買い、その通りに編めばちゃんとセーターが出来るとの事。 基本的な形のセーター、カーディガンの本を買い、私もやってみる事にしました。 何もゲージがどうのとやらなくても、表編みと裏編みが出来れば、編めるはず。
Kが表編み、Pが裏編みの事です。 図は、全然ありません。 M子さんの助言などを取り入れながら、赤いセーターを編み上げました。 実は、うちの母は、下手の横好きで色々な手芸に手を染めていました。
そして、私が物心ついた頃には、初期の編み機で家族の編み物を編んでいましたし、棒針でも暇さえあれば、編み物をしていましたので、私も小さい頃から、マフラーなど編んでいました。

その後私は、手編みにはまっちゃいました。 そして、最初にS子さんが編んでいたのと同じ毛足の長いモヘアで、カーディガンを編む事にしました。 このモヘアのカーディガン、後に日本に帰って、真冬に上に羽織って、バイクで走っても風を通さなかったくらいの優れものでした。

生まれて初めて編んだセーター。 残念ながら、モヘアのカーディガンの画像は、まともなのがありません。

 1969 - 1973031 

 

 


編み物の本(と言っても、数ページ)は、英語で書いてあります。 英語の勉強にもなります。 基礎編の済んだ私は、模様編みの本を買って挑戦しました。 オーストラリアの毛糸は、その当時は、質も良く安く、その上、糸の太さが4プライ、5プライ、8プライ、12プライとシンプルで、8プライが並太なので、大体8プライで編んでいました。 日本に帰ってきてからも、並太の毛糸を買って、同じ本と針を使って色々編みました。
日本の本のように複雑怪奇なことをしないで編み物まっしぐら20年は、編み続けました。 そして、その頃編んだセーターを今も着ているのです。 このような技術を身につけられたと言う事は、一つの私の財産です。

そして、今のオーストラリアの毛糸事情はと申しますと、いつの頃からか、毛糸を注文しようとしても、手編みをする人が極端に減り、毛糸を売っていないという状態になりました。 仕方ないので、今は、いざと言う時には、ニュージーランドに注文しているのが現状です。  退職後、省エネに勤めようと思っていますので、買い貯めている毛糸でセーターやカーディガンを編んで、一昔前の生活をしようと考えています。 又大昔に編んだ白のセーターは、ハーブ染めなどして色を変え、リフレッシュして着ています。 

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コメント

[C139] No title

色白の藤さん、赤いセーターがとってもお似合いです。
それに編まれた物を大切に着てらっしゃるとこが凄いです。

私は棒針で編むのが大好きです。
子供達が幼い頃はセーターとか良く編んでいました。

クロスステッチと同じでせっせと編んでると気持ちが落ち着きます。
今は買った方がお値打ちで、手編みは高価なものになりましたね。
ここ何年は編んでいませんが、また編みたくなってきました。

藤さんのお母様も手作り派でいらしたんですね。
実は私の母親もです。
洋裁・編み物なんでもこなして、就職するまで既製服を着たことがありませんでした。
ウェディングドレスもお手製だったんですよ。

母に比べると私は不器用ですが、少しはDNA受け継いでいるみたいです。

[C140] No title

こまははさん

若い時には、色白でしたが、余り気をつけずに外に出たり、風呂上りにも化粧水も乳液もつけずに50代後半まできたら、気づいた時には、真っ黒けになってました。 それにシミがすごくてシワも一杯!
後の祭りです。 こまははさんは、その点、とってもおきれいです。
羨ましいと言うか、自分の怠慢がうらめしい。

こまははさんのお母様は、すごい! もう、プロですね。 私の母は、普通の手芸好きオバサンでした。むしろ母方の祖母の方が、器用でした。 祖母は、和裁は、明治女ですからもちろんですが、鉤針編みを良くしていましたね。 でも、私以外の孫娘は、手作りとかしません。
  • 2008-08-26 11:40
  • 藤色のアン
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  • 編集

[C141] No title

フジちゃん、高校出てから就職して夜は洋裁学校で学んでいたんですね。私も高校出てから3年三菱電機でキーパンチャーして、やめてから一日おきに月水金は洋裁学校に一日行って
火水土は銀行でキーパンチャーのアルバイトしてました。
洋裁学校に2年行って卒業してから渋谷のナイトウェアーの会社に
デザイナーとして就職したの。
工業用ミシンでサンプルをデザインして縫ってました。
家の母も手芸好きで洋服やセーターは子供のころから手作りでした
こまははさんのお母様はプロ並みなんですね。
三人なんとなく共通点が多いですね♪
フジちゃん、この写真とってもかわいいね
めがねがいま風です。娘がこんなのしてますよ!!

  • 2008-08-26 17:37
  • アン
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[C142] No title

ぽえむに載せてる写真から若かりし日の母を紹介します。
http://www.est.hi-ho.ne.jp/h-saiki/makahusigi.htm

プロの域ではなかったと思うけど、何でも手作りしてくれました。

[C143] No title

☆アンさん

昔私たちが若い時には、編み機を習う人や洋裁を習う人が一杯いたよね。 私は、洋裁学校卒業してなくて、最後頃は、知りきれトンボみたいに友達も私も行かなくなり、その代わりに2人で自動車学校の夜間に通いました。 何もかも中途半端です。

でも、アンさん、卒業して東京でデザイナーしてたなんて初めて聞いた! すごいわ! 今の時代だったら雇ってくれないだろうね。 良い時代だったわね。 私だって、高卒で事務員だからね。 今は、経験とか言われて事務職は、無理みたいよ。

☆こまははさん

ノスタルジーの香りする写真、とっても懐かしい感じです。 そしてポエムも素晴らしいです。
お母様もこまははさんみたいにきれいな方だったんですね。 でも、こまははさんは、余りお変わりないような気がします。

若い時には、私は、父似でしたが、年を取るに従い、母に似てきて不思議な感じがします。 母の妹(叔母)にもよく似ています。

昔は、皆手作りしてたのかしら? ぶきっちょさんは、どうなってたんだろう?
  • 2008-08-26 20:47
  • 藤色のアン
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[C146] No title

みなさんのコメントを拝見していたら私なんてまだまだ・・未熟です。
経験に勝るものなしですね~。

「編み物は編み直しが出来るから経済的」と伯母から教えられ私も簡単なセーターくらいは編むことが出来ますが、最近は何年も編んでいませんね~。

60歳目前にしてやりたい事がた~くさん出てきてしまいましたよ。
どれもこれも手作りものなのでこつこつとやるしかないな~。

[C149] No title

mimakaさん

そんな事は、ありません! mimakaさんの手作りは、早いしお上手だし、暮らしに結びついてます。 私なんか、趣味の域をでてませんので、殿には、「趣味は、せいぜい3つまでに」と、よく言われます。
でも、この好奇心の塊には、それは、無理です。

私も長い事編み物してなかったから、今年の冬にやってみたけど、やり方忘れたり、編み図が読めなくなってたりと散々です。 でも、基本的なセーターだったら何とかなるでしょう。いくら千手観音でも、手は、2本しかないので、何かをあきらめる他ありません。 のんびりとやりましょう。
  • 2008-08-27 16:40
  • 藤色のアン
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プロフィール

藤色の庵

Author:藤色の庵
山口県東部地方在住。 手作り大好きは、祖母、母からDNAをしっかり引き継いでいます。
8月に仕事を辞め自由人になり、体力低下と闘いながら手作りを楽しんでいます。時々農婦も・・・

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