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藤色の庵の楽書帳 |英語のクラス

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英語のクラス

ホームステイ先のM子さん宅から左程遠くない所に仕事が見つかったので、本来の目的の英語に力を入れることになりました。 その昔、M子さんがお嫁に来た頃通っていたと言う英語のクラスに連れてってもらいました。
そこは、近くの小学校で月曜日と水曜日の夜間2時間だけ開かれる無料の英語クラス。 能力に寄り5クラスくらいありました。 私は、一応中高で6年間英語を習っていたと言うので、一番上のクラスに入りました。

オーストラリアは、移民の国。 労働力確保の為に主にヨーロッパからの移民が2年契約で来ていました。 その当時は、所謂白豪主義が横行していて、黄色人種である我々には、移民の門戸は、開かれておらず、アラブ人などは、黄色人種ではないと言う理由で大勢入って来ていました。 それなのに、ゴールドラッシュの時代にやって来た中国人は、どこの町にもいました。 そして、その親類を頼って、香港などから大勢の中国人が入国していました。 1969年当時、日本人の移民は、6家族いたらしいです。 彼らは、何か特別の技術を持った人たちでした。

私の入ったクラスの先生は、スティーブ マックイーンにそっくりのジョン先生。 ラッキー!と、思いました。
最初行き始めた頃には、フランス人の中年夫婦、スイスの20代の男性2人、チェコスロバキアの20代の男性2人、ポーランドの50歳くらいの男性、10代後半と20代前半の中国人姉弟、ユーゴースラビアの30代の男性などいました。 観光ビザで入国していた私には、本当は、資格がなかったと思いますが、そんな事ガタガタ言わないのがオーストラリアの大らかさ。 以後、7ヶ月間一度も欠席せずに通いました。

然し、英語を6年も習ってる割には、実用英語の理解できない私は、いつもドギマギしてました。 まず、最初の1時間目は、先生が黒板に10個の単語を書きます。 我々は、10分間の間に単語の意味を調べます。
そして~、先生が生徒一人一人に単語の意味を聞きます。 もちろん英語で意味を説明しなくては、なりません。 ドキドキ、ドギマギが続きます。 10個の内知ってる単語なんて1個くらいしかありません。
次に一人1個の単語を与えられ、その単語を使って文章を作るのです。 出来た人から、黒板に書きます。
そして、先生の添削。 

10分間の休憩を挟んで、2時間目が始まります。 休憩の時間には、(何国人?)とか(どこから来たの?)とか会話が交わされて、生徒同士仲良くなっていきます。 皆すごい酷いお国ナマリの英語を話します。 文法とか度外視です。 その為にシンプルな英語で結構通じるんです。

2時間目は、会話の時間。 これは、最初魔の時間でした。 話す事と聞く事が極端に苦手で、会話なんてとんでもない。 アジア組は、だんまりでした。 そして、決まって先生は、「アン、おとなしいけど、どうしたんだね?」とか「アンジェラ(中国人)中国語じゃなく英語をしゃべりなさい」などと、言われてました。 しゃべりたくても、単語を知らないんだものどうしようもないよ~。 然し、私以外は、オーストラリアに来るまで、英語をしゃべった事も習った事もない人たちですが、ヨーロッパ系は、お構いなしに堂々と会話に参加していました。 私は、感心するやら、落ち込むやら・・・ 

その内、2時間目は、文法の時間になりました。 やっと私の出番が来ました!! 文法大好き人間のワタクシ、元気一杯手を上げて、答えてました。 ヨーロッパ組は、シュンとなってましたよ。 6年間も伊達にやってないって。 日本の文法中心授業バンザ~イ!!! やっと日の目を見ましたよ。

 

 

クラスの後で中国人のアンジェラ(私より1歳上)、スイス人のハンス(28歳)とオスカー(28歳)と私(21歳)は、団体でデートしました。 もちろん恋愛感情抜きのクラスメート。 通りを4人で歩いていたらよくそこらへんから(チャイニーズ!)と叫ぶ人たちがいました。 私は、チャイニーズじゃないって。
どうもハンスは、私に気があったみたいです。 やたら親切にしてくれるのです。 でも、私にその気無し。

ハンスに誘われて、アンジェラ、ハンス、ハンスの妹のアン・エリザベスと私の4人で週末にある観光地に行った時の写真です。

 

 1969 - 1973036   

 

スイス人のオスカーもデートに誘ってきて、ある夜クラブにコンサートを聴きに行きましたが、これもただの友達。 その内仕事が忙しいのかクラスに来なくなりました。 画像は、岩国市内の私の住んでいたところに突然訪ねてきた時のオスカーです。 2年間の移民の契約解除後国に帰るときに日本をあちこち見学して帰国しました。 全く突然訪ねてきたんです。

 

 1969 - 1973035

 

 そして、私の片思いの相手、チェコスロバキア人のウィリアム(25歳)。 プラハの春と言う軍事事件(1968年)で、国を逃れてオーストラリアに来たと言っていました。 彼とは、映画を見に行ったくらいです。 私ってやっぱり面食いだったんですね。 左側のハンサムさんが、ウィリアム。

 

 1969 - 1973034 

 

結局、ハンスとウィリアムは、帰化してオーストラリア人になりました。 今は、私を含めて全員60代。 オスカーには、私がスイスに行った時に今度は、私が突然訪ねていきビックリさせました。 同じ頃ハンスもガールフレンドと里帰りしていて、会いました。 又、ハンスの妹のアン・エリザベスには、スイスで大変お世話に成り、それ以来親友です。 ウィリアムは、イギリス系の女性と結婚し、一人娘のキャッシーは、京都の大学に留学してた事があります。 今は、オーストラリアの暑さに耐えかねて(42度くらいになる)夫婦でヨーロッパにいるらしいです。 

こうして何気に袖をすりあわせた私たち、未だに音信は、続いています。 細々ですが・・・

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コメント

[C158] No title

待ってました~。ボーイフレンドの話題。
ウィリアムさん・・カッコいいわ~。
突然たずねてきたオスカーさんも凄いですね。
そのうち本命の彼ができるわけですか?v-392

雨はどうなのかしら?
こちらは昨晩あちこちで川が増水して避難勧告水位になったみたいです。幸い我が家は少し高台にあるのでその心配はありませんでした。
屋根を打つ雨音がすごかったです。
もう今日は別宅でしょうね。
手作り三昧してきてくださ~い。

[C159] No title

21歳のフジちゃんのオーストラリア奮闘記
ますますおもしろくなってきました
ウィリアムはほんとに素敵ですね
私も好みです笑
またみんなに逢えるとよいね
私もね、、北海道の小樽にいたとき前に住んでいた牧師の子
リチャードと仲良しで毎日一緒に学校に行ったり遊んでました
一つ年下の金髪の子でした
今はどうしているのかな
文通しておけばよかったな
あ、そんとき彼は小学一年生でした
私のこともう覚えてないと思います
  • 2008-08-31 10:34
  • アン
  • URL
  • 編集

[C160] No title

☆mimakaさん

ねっ! ウィリアムカッコいいでしょう? 誕生日が一日違いで嬉しかったなぁ。 年は、4歳上だったけど。
残念ながら、ただの友達で終わっちゃいました。
あの頃の私、ちょっと幼稚だったのか、もてませんでした。
って言うか、自分の好みの人にはね。

山荘のあるところは、夜大雨が突然降ってきました。 この所、雨っぽくてジメジメしてました。

☆アンさん

ウィリアムカッコよかったぁ~。 ハンスとかは、ドイツ語ナマリの英語でうるさく話しかけてきて、いい人だったけど、恋愛対象には、なりませんでした。
今オーストラリアに行っても、居るのは、ハンスだけです。 オスカーは、スイスですし、ウィリアムも余りにも暑くなったシドニーを脱出してヨーロッパのどこかです(夫婦で)。 ウィリアムの奥さんは、とてもいい人です。 私は、帰国してから彼氏が出来たので、ウィリアムの事は、あっさりあきらめました。 
  • 2008-08-31 23:23
  • 藤色のアン
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プロフィール

藤色の庵

Author:藤色の庵
山口県東部地方在住。 手作り大好きは、祖母、母からDNAをしっかり引き継いでいます。
8月に仕事を辞め自由人になり、体力低下と闘いながら手作りを楽しんでいます。時々農婦も・・・

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